こんにちは、ほわんです。
英語吹替版のアニメ「葬送のフリーレン 第28話 また会ったときに恥ずかしいからね」を一緒に覗いてみましょう。
気になるフレーズをいくつかチョイスして、英語だったらどう表現されるか、みんな気になるところですよね。
日本語って、話の背景や人と人との関係性から、言葉のニュアンスを読み取ることが多いんです。だから、英語に訳す時には、文脈で察してる部分をどう明確にするかがポイントになるんですよ。
英語はストレートな言い方が基本で、伝えたいことをクリアにするためのシンプルでわかりやすい表現がよく使われます。この辺りを踏まえて、どんな英語表現が使用されているのか見ていきましょう。
目標
日本語と英語のセリフの違いを理解して、直訳を超えた自然な英語表現を身につけよう。
構成
- オリジナルの日本語版のセリフ
- 英語の吹き替え版のセリフ
- 英語吹き替え版のセリフ表現の解説
葬送のフリーレン 第28話 また会ったときに恥ずかしいからね
Frieren: Beyond Journey’s End E28 – It Would Be Embarrassing When We Met Again
フレーズピックアップ
今生の別れってのはなにも死別だけじゃない。
Death is far from this lifetime’s only goodbye.
far from
は、何かがある状態や特徴からかけ離れていることを示す表現です。ここでは、「Death is far from this lifetime’s only goodbye.」という構造で使われ、「死」が人生における唯一の別れではないこと、
つまり多くの異なる種類の別れが存在することを強調しています。
this lifetime’s
は「この人生の」という意味で、所有格を用いることで人生が別れのシナリオを「持っている」ことを示しています。
これは、人生全体を通じて多くの別れが存在することを指摘しており、特定の人生における経験の一部として別れを位置づけています。
only goodbye
は、人生で経験する唯一の別れの種類として死を指すことができますが、「far from」によってその限定が否定されています。
フリーレン様が何をしたっていうんですか。
That’s quite a steep punishment when there wasn’t a crime.
steep punishment
は、非常に重い、または厳しい罰を意味します。ここでの「steep」は、通常、山などの傾斜が急なことを表しますが、転じて「度合いが非常に高い」という意味で使われることがあります。
したがって、「steep punishment」は、その状況や行為に対して過剰なほど厳しい罰を指します。
when there wasn’t a crime
は、罪や過ちがなかったにも関わらず、という状況を示しています。このフレーズは、何らかの不公正や不合理さを強調していることになります。
つまり、本来ならば罰されるべき理由が存在しないにもかかわらず、重い罰が課されたという状況を非難しています。
ゼーリエの機嫌を損ねてしまったからね。
And I’ve gotten on her bad side and that’s where I’ll stay.
And I’ve gotten on her bad side and that’s where I’ll stay
には、特定の人物との関係性が悪化した状況を受け入れ、それが変わらないだろうという諦めや決意が含まれています。
gotten on her bad side
は、文字通りには「彼女の悪い側面に触れた」という意味になりますが、実際には「彼女の不興を買った」「彼女に嫌われた」という状況を指しています。これは、何らかの行動や言動によって、その人物からの評価が著しく低下し、好意的ではない関係になったことを意味します。
and that’s where I’ll stay
は、その状態が継続することを受け入れている、あるいはそれから抜け出すことを試みない意志を示しています。ここでの「stay」は物理的な場所に留まることではなく、状況や状態において変わらないことを選択する、あるいはその状況に甘んじることを意味しています。
俺も外で待っているよ。
I may as well give her some company.
may as well
は、直訳すると「〜も同じ」となりますが、この文脈では「〜した方がいい」「〜しても差し支えない」という意味で使われています。
これは、最適な選択肢ではないかもしれないが、他に特に良い選択肢がないためにその行動を取ることを示唆しています。
give her some company
は、「彼女に付き合う」「彼女のそばにいる」という意味です。この文脈では、誰かが一人でいる状況に対して、自分がそばにいて寂しさを紛らわせる、または支えになるという意図が感じられます。
この表現は、話者が誰かのために何かをする意志はあるものの、それが自分にとってもっとも望ましい選択ではないかもしれないというニュアンスを含んでいます。
宵の鐘だな。
That’s the evening bow.
bow
には「お辞儀」や「一礼」などの意味がありますが、ここでは文字通りの「お辞儀」以外にも、何かが終わりを迎える、あるいは夜の訪れを告げる行為やサイン(宵の鐘)としての意味を持つ場合があります。
That’s the evening bow
では、「それが夜のお辞儀だ」という直訳になりますが、この「夜のお辞儀」というフレーズが何を指しているかには多少の解釈の余地があります。
例えば、太陽が沈むことを太陽の「お辞儀」と見なす文化的な見方や、あるいは夜に特有の自然現象や行事が始まる瞬間を指す場合など、様々な状況が考えられます。
この表現が使われる文脈によっては、日が終わり夜が始まる自然のサイクルへの敬意を表したり、夜の訪れと共にある活動や仕事が終わることを示す象徴的な意味合いを持つことがあります。
このように、比喩的な使われ方をすることで、単なる時間の経過以上の、ある種の感慨や情緒を伝えることができます。
例えそれが伝説の魔法使いフリーレン様を打ち取ったという悪名であろうとも。
Infamy must suffice as being the mage who killed the legendary Frieren won’t elicit kind remarks from generations to come.
Infamy must suffice
は、「悪名が十分でなければならない」という意味です。ここでの「must」は義務や必然性を示し、「suffice」は「十分である」という意味ですから、どんなに不本意でも、その人物にとって悪名は避けられない運命であり、それを受け入れるしかない状況を表しています。
being the mage who killed the legendary Frieren
は、「伝説のフリーレンを殺した魔法使いであること」という直訳になりますが、ここではその行為の重大性や、伝説のキャラクターであるフリーレンを殺したという事実の重みを感じさせます。
フリーレンは尊敬され、愛されていたキャラクターであるため、彼女を殺した魔法使いは、どんなに正当な理由があったとしても、悪名高い存在として記憶されるでしょう。
won’t elicit kind remarks from generations to come
は、「これからの世代から好意的な評価を引き出すことはないだろう」という意味です。この部分では、時間を越えた評価、つまり後世の人々による評価が、その行為に対して否定的であることが確実であると強調しています。
この表現全体を通じて、歴史に名を残すことの重さ、特に悪名に関する重大な影響を示しており、一時的な英雄よりも永遠の悪役として記憶されることの避けられない運命を強調しています。
「elicit」という単語は、何かを引き出す、特に情報や反応を引き出す際に使用されます。この動詞は、特定の結果、反応、または答えを得るために意図的に行われる行動や質問、刺激によって何かを引き出すときに特に使われます。
言い換えれば、ある行為や質問が原因となり、それによって特定の反応や情報が「引き出される」場合に使います。
たとえば、調査で質問をすることによって人々の意見を「elicit」する、または芸術作品が観る人の感情を「elicit」するといった使い方があります。この単語は、通常、何らかの具体的なアクションや手段によって、それまで隠れていたり、表面に出ていなかった情報や反応を明らかにする状況に適しています。
正直、フランメは失敗作だった。
I am not one to mince words. Flamme was a failure.
mince words
というフレーズは、「言葉を飾る」や「遠慮して言う」という意味があり、直訳すると「言葉を細かく切る」ことから、本質をごまかしたり、真意を隠したりすることなく、はっきりと物事を述べることを避ける様子を表します。
しかし、
I am not one to
は自己紹介の際に用いられる表現で、「〜するような人ではない」と自己を定義する際に使います。
話者が自分の性格や態度について語ることにより、正直さ、直接性、そして隠し事がないことを強調しています。
つまり、話者は自分の考えや意見を隠さず、誤解を恐れずに、ストレートに表現する人物であると言っているわけです。
このように自己を表現することで、聞き手に対して誠実さや信頼性をアピールすると同時に、時には厳しい意見や批判も含めて、真実を話す準備ができていることを伝えます。
Flamme was a failure
「failure」という単語は、目標達成の失敗、期待に応えられないこと、あるいは一般的には成功とは対照的な結果を意味します。
この表現には、単に目標を達成できなかったという事実だけでなく、その失敗が持つ否定的な影響や感情も含まれている可能性があります。失敗は、個人や団体の評価を下げることがあり、しばしば失望や自信の喪失につながります。
本当に不器用な人だ、あなたもわたしも。
We are horrid at the softer things, aren’t we? That is true of the both of us.
the softer things
というフレーズは、恐らく情緒的な側面、人間関係の構築、共感や優しさといった、より繊細かつ感情的な能力や活動を指しています。
horrid
という単語は「非常に悪い」や「ひどい」という意味で、ここではそのような「柔らかいこと」をうまくこなせない不得意さを強調しています。
aren’t we?
は疑問形をとることで、相手に同意を求めると同時に、この問題についての共感や共有の認識を促しています。これは、英語の会話においてよく用いられる、相手との関係性を深めるための修辞的な手法です。
That is true of the both of us
という部分は、この能力の不足が話者自身だけでなく、相手にも当てはまるという事実を明確にしています。
これにより、話者は自分だけがこの問題を抱えているわけではなく、相手も同様であることを認識し、それによってある種の連帯感や理解を示唆しています。
「true of the both of us」は、「私たち両方に当てはまる真実」という意味で、ある特徴や状況が両者に共通していることを指します。この表現では、ある特性や事実が話者と聞き手(または第三者)の両方に該当することを強調しています。
「true for the both of us」は、「私たち両方にとって真実」という意味で、ある状況や条件が両者に等しく適用されることを示します。この場合、特定の状況や条件が話者と聞き手にとって同様に当てはまり、影響を与えることを意味しています。
どちらの表現も、話者ともう一人(または複数の人々)が共通している点や、何かが両者に等しく影響を及ぼしていることを示すために使われます。
しかし、「true of」はその特性や事実が両者に存在することを、「true for」はその状況や条件が両者にとっての現実であることをより強調する傾向があります。文脈によっては、どちらの表現を使っても意味の違いはほとんどなく、話の流れや個人の好みによって選ばれることが多いです。
まとめ
英語吹き替え版のセリフ、日本語版と比べてちょっと違ったニュアンスが加わってることに気づいたでしょうか?
日本語だとあんまり細かく言わないことも、英語ではしっかりと伝えなきゃいけない時があるんです。
でもね、英語ネイティブの人たちのようにそういう表現がパッと出てくるわけじゃないかも。英語を学んでる人には、これが結構新鮮な発見だったりするんです。
日々の生活でメディアに触れることで、自分の英語の表現力をぐんと広げられます。一緒に英語の感覚、掴んでいきましょう。
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